2009/09/20
臼井儀人さん死去
2009/09/20 22:00:30
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クレヨンしんちゃん:遺体は作者の臼井さんと確認 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090921k0000m040081000c.html
昨日荒船山で発見された遺体が、12日から行方不明になっていたまんが家の臼井儀人さんだということが確認されたそうです。
群馬県警によると、臼井さんは荒船山の絶壁「艫(とも)岩」の頂上にある展望台から転落したとみられ、遺体は垂直に切り立った艫岩の真下約120メートルの場所にあった。遺体発見現場から約50メートル離れた斜面で遺留品とみられるベージュ色のナップザックも見つかった。19日午前に登山者の男性が遺体を発見し、県警のヘリコプターが20日午後に遺体をつり上げ、下仁田署で身元を確認した。
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090921k0000m040081000c.html
80年代末から四コマの連載を始めていて、当時の印象は「まんがくらぶ」に載るほどのニューウエーブさは無いけど「まんがライフ」だったら十分新しいという感じでした。その後91年に『クレヨンしんちゃん』というタイトルの四コマを漫画アクションに連載しているのを見て、正直あざといタイトルだなーと思ったのを覚えています。
それ以降のテレビアニメ化・映画化などもあって、世界中で人気が出たり、テレビアニメが毎年日本PTA全国協議会の『子どもに見せたくない番組』に選ばれてたりしてるのは皆ご存じのとおり。
よく言われてることだけど、クレしん連載初期には夫婦生活の話とかあったり、一昨年にはまつざか先生の恋人の徳郎さんが爆弾テロで亡くなる描写とかあったり、本来は子供向けの四コマではなかったと思うんだよなぁ。子供が読んでも面白いのは間違いないけど。
人はいつ亡くなるか分からないのだから、その日その日を充実させて楽しむことが大切だよなぁ…
謹んで哀悼の意を表します。
2009/07/18
ウォルター・クロンカイトさん死去
2009/07/18 11:17:45
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W・クロンカイト氏死去=CBSの元看板キャスター-米 (時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009071800119
Walter Cronkite, Voice of TV News, Dies (NYTimes.com)
http://www.nytimes.com/2009/07/18/us/18cronkite.html
アメリカのジャーナリストで1962年から1981年までCBSイブニングニュースのアンカーパーソンを務めたウォルター・クロンカイト氏が亡くなったそうです。92歳でした。
彼は伝えるべきニュースを可能な限り網羅し、個人的意見をできるだけ排し、淡々と伝えるという報道スタイルで知られていました。その姿勢は多くのアメリカ国民の共感と信頼を得て、当時アメリカにおいて最も影響力のある一人となっていました。彼が夕方にその日あったニュースを国民に伝え、それを通して国民はその日国内・海外であった出来事を知っていたのでしょう。
彼についてのもっとも有名なエピソードは、それまで上記の理由から中道的な(ということは戦争支持ということになるのだけど)立場を打ち出していたベトナム戦争に対して、1968年2月に初めて戦争の継続に反対を表明し、当時のジョンソン大統領に、「クロンカイト(の支持)を失うということは、アメリカの中道層(の支持)を失うということだ」と言わしめ、彼が大統領2期目への出馬をあきらめた要因の一つとなったというものでしょう。まあ大統領本人は後日クロンカイトからこのことを質問されたときに否定したそうですが。
その他ケネディ大統領が暗殺されたとき、アポロ11号が月面着陸したときもアメリカ国民はそのことを彼から聞いたし、ともかく彼が伝えることがアメリカにとって重要なことだという認識がアメリカ国民の間にあったのだと思います。
あとスウェーデンではニュースキャスター(アンカーパーソン)のことが『クロンカイター』と呼ばれていたことや、『ニュース23』で筑紫哲也氏(故人)が番組のおしまいに「今日はこんなところです」と言っていた(クロンカイト氏は「That’s the way it is」と言っていた)ことからも、国際的にもジャーナリストの間には影響力があったのでしょう。
今、CNNのラリーキングライブを見ながらこれ書いてるんですが、今日出演予定のなかったラリー・キング本人が電話でコメントしてるのはもちろん、CBSイブニングニュースの現アンカーパーソン、ケイティ・クーリック氏やNBCナイトリー・ニュースのブライアン・ウイリアムズ氏など様々な方がコメントを寄せています。
なぜ彼がこれだけ影響力があったかについてはいろいろな話があるけど、彼の最盛期の60~70年代というのは、テレビが三大ネットワークしかなく、今よりもその影響力が強かったとか、たとえば彼の時代の前のCBSの花形レポーター、エド・マローに比べてテレビ向きのキャラクターだったというのが大きかったのではないでしょうか。
彼の降板と前後するように1980年にはCNNが開局し、その後ニュースは多局化、24時間化し、現在の皆ニュースレポーター化に至るのですが、それを考えると彼は正しいときに正しい場所にいた人なんだなぁと思います。
謹んで哀悼の意を表します。
2007/04/24
デイヴィッド・ハルバースタムさん死去
2007/04/24 22:59:03
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米のジャーナリスト、ハルバースタムさんが事故死 (朝日新聞)
http://www.asahi.com/international/update/0424/TKY200704240103.html
ケネディ/ジョンソン政権に集ったアメリカの英知がヴェトナム戦争の泥沼にはまってゆくさまを描いた『ベスト・アンド・ブライテスト』や巨大メディアと政権との関係を描いた『メディアの権力』で知られるアメリカのノンフィクション作家でジャーナリストのデイヴィッド・ハルバースタムさんが23日、カリフォルニア州メンローパークでの交通事故で亡くなられたそうです。73歳でした。
AP通信によると、カリフォルニア大の学生が運転する車に同乗中、他の車との衝突事故に巻き込まれた。サンマテオ郡のフォークロウト検視官によると、同日午前10時40分、閉じこめられた車から救急隊員が搬出したが死亡が確認された。
http://www.asahi.com/international/update/0424/TKY200704240103.html
ニューヨークタイムズ紙によると、この日も1958年シーズン、ニューヨーク・ジャイアンツ対ボルチモア・コルツの間で行われたNFLチャンピオンシップゲームについての取材のため当時のNYジャイアンツのクオーターバックのインタビューに向かうところだったそうです。
上記の二作品も素晴らしいのですが、個人的に好きなのが『ザ・フィフティーズ』。
目に見える形で(アメリカ)社会が大きく変わったのが60年代とすると、基礎の部分で組み替えが進んでたのが50年代って事でトルーマンからアイゼンハワー、マッカーシズム、U2事件とレヴィッドタウン、マクドナルド兄弟とレイ・クロック、広告革命とサンガー夫人など何が縦糸で何が横糸か分からない感じで語られて行きます。
http://d.hatena.ne.jp/elephantlogic30/20060718
デイヴィッド・ハルバースタムさんのご冥福をお祈りします。
参考:
- David Halberstam, 73, Reporter and Author, Dies (The New York Times [注意:要登録])
http://www.nytimes.com/2007/04/24/arts/24halberstam.html
参照:
- 奥歯が痛い (ヒムカイニッキ 2006/07/12)
http://d.hatena.ne.jp/elephantlogic30/20060712#p1
『ベスト・アンド・ブライテスト』の感想。タイトルがアレなのはなにせ日記なので… - セブンイレブン弁当のパッケージはなんとかならないか (ヒムカイニッキ 2006/07/18)
本文中の『ザ・フィフティーズ』の感想。NHK教育で(制作は違うけど)テレビ番組化されてました。
2006/12/17
クレイ・レガツォーニさん死去
2006/12/17 16:04:45
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元F1ドライバー、レガツォーニ氏が事故死 イタリア (朝日新聞)
http://www.asahi.com/sports/update/1216/029.html
1970年代、F1等で活躍されたクレイ・レガツォーニさんが15日、イタリア・パルマでの交通事故で亡くなられたそうです。67歳でした。
レガツォーニ氏はスイス国籍で、67歳。1980年米国西部グランプリ(GP)でレース中に事故に遭い、脊髄を損傷。その後は車いすでの生活となっていた。
http://www.asahi.com/sports/update/1216/029.html
BRM、エンサイン、シャドウ等地味なチームに在籍してたし、最も活躍してたのは1970-72年と74-76年のフェラーリ時代なんだけど、やっぱり印象が強いのは1979年のウィリアムズ時代だよなぁ。ここでの一勝が80年代の快進撃に繋がるような気が。
ここ数年では、上半身だけで操縦出来る仕様のNSXに乗って出演してたホンダの企業CMの印象が強かったですね。
参考:
- Regazzoni killed in road accident (BBC News)
http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/motorsport/formula_one/6184347.stm
2006/03/21
宮川泰さん死去
2006/03/21 23:19:18
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「恋のバカンス」作曲家の宮川泰さん死去 (朝日新聞)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0321/002.html
作曲家の宮川泰さんが3月21日、心不全のため東京都内の自宅で亡くなられたそうです。享年75歳でした。
北海道生まれ。大阪学芸大(現・大阪教育大)を中退し、ミュージシャンを志して上京した。ジャズの平岡精二クインテットなどでピアニストとして活動した後、ザ・ピーナッツに出会って作・編曲家に転じた。62年の「ふりむかないで」で注目され、63年の「恋のバカンス」でレコード大賞編曲賞、64年の「ウナ・セラ・ディ東京」で作曲賞を受賞するなどヒットメーカーとなった。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0321/002.html
一般的にはザ・ピーナッツや宇宙戦艦ヤマトの音楽で知られていますが、Wikipediaを見ると『カリキュラマシーン』や『ズームイン!!朝!』の音楽もやられてるんですね。
個人的には日曜の昼13時から放送してた『スーパージョッキー』で初期にやっていた芸能・映画コーナーに出て、司会のビートたけしに突然抱きついたりおどかすなど、時々怪行動をしてた(日景さんと勘違いしている訳ではないです)記憶が強いですね。息子の宮川彬良さんを『ゆうがたクインテット』で見て「なるほどなぁ」と思った覚えも。
参考:
宮川泰 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B7%9D%E6%B3%B0
2005/07/25
杉浦日向子さん死去
2005/07/25 21:04:04
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文筆家の杉浦日向子さん死去 江戸風俗研究・漫画で活躍 (朝日新聞)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0725/001.html
杉浦日向子さんが7月22日、下咽頭癌のため千葉県柏市内の病院で亡くなられたそうです。享年46歳でした。
東京・京橋の呉服屋に生まれ、江戸文化に傾倒。時代考証を学ぶかたわら、80年に初めて描いた漫画「通言室乃梅」が「ガロ」誌に載る。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0725/001.html
当初メディアに出てきた頃(80年代前半かな?)は、本業はあくまでも『時代考証家』で、あくまで『まんが家』は副業という線を保ってたと思うのですが、実際にそういう方向に進んでしまい、93年にまんが家を引退してしまったのは残念だったですね。ほんとに。
まあ、エッセイも結構好きなのですが。江戸とは全く関係ない『ウルトラ人生相談』なんかもなかなか良かったような。
しかし46歳か…まだ若いのになぁ…。
2005/07/05
天野滋さん死去
2005/07/05 21:49:10
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NSPリーダー 天野滋さん死去 (岩手日報)
http://www.iwate-np.co.jp/news/y2005/m07/d05/NippoNews_7.html
フォークグループNSPのリーダーである天野滋さんが7月1日に脳内出血で亡くなられたそうです。
一関高専の同級生3人で結成された「NSP(ニュー・サディスティック・ピンク)」は、天野さん作詞作曲の「夕暮れ時はさびしそう」が大ヒットするなど、70年代を代表する叙情派フォークグループとして活躍した。
http://www.iwate-np.co.jp/news/y2005/m07/d05/NippoNews_7.html
80年代に解散後、プロデュース活動を行っていたそうですが、2002年にNSPを再結成してコンサートを行っていたそうですが。昨年初めに大腸ガンが見つかり、今年3月のコンサートを最後に治療に専念していたとのことです。
70年代後半のヤマハ・ポプコン系全盛時代のグループですね。聞けば分かるんだろうけど、個別の曲のタイトルはあんまし思い出せないのですが、個人的には『冬の花火はおもいで花火』が好きでした。
天野滋さんのご冥福をお祈りいたします。
2005/03/21
ジョン・デロリアンさん死去
2005/03/21 20:51:22
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J・デロリアン氏死去/米自動車会社創業者
(四国新聞)
ジョン・デロリアン氏(米自動車会社創業者、自動車開発者)AP通信などによると、19日、脳卒中に伴う合併症のため米ニュージャージー州の病院で死去、80歳。
http://www.shikoku-np.co.jp/news/news.aspx?id=20050321000149
1925年、ミシガン州デトロイトに生まれの彼は、パッカードに技術者として1952年に入社。その後1956年にゼネラルモーターズに入社し、1965年にはポンティアック・ディヴィジョン担当の史上最年少副社長としてGTOの開発に携わり、現在まで続くスポーティーなイメージを築き上げました。そしてシボレー部門の重役になり、対輸入車用サブコンパクトカーのヴェガの開発に携わったのち、1973年には訳あって退社。この間のいきさつについてはJ・パトリック・ライトとの共著による『晴れた日にはGMが見える(On a Clear Day You Can See General Motors)』に書かれています。
その後、ジョニー・カーソンやサミー・デーヴィス・Jrなどからの出資を受けデロリアン・モーター・カンパニー(DMC)を設立。1981年にはイギリス政府からの補助金を受け、北アイルランド・ベルファスト近郊で有名な『デロリアン DMC-12』を生産開始しました。
この車はロータスのコーリン・チャップマンが設計に参加し、リアにPRV(プジョー・ルノー・ボルボ)製2.8LV6を搭載するシャシー。そしてジョルジェット・ジウジアーロがデザインした無塗装ステンレスのガルウィング・クーペ・ボディという魅力的なスタイルを持つ車でした。
しかし最高出力が130psとパワー不足だったり、当時のイギリス車と同じく品質的な問題、予定価格を遙かに超える価格、そしてデロリアン氏自身が麻薬取引に関わったとされる疑いでイギリス政府から調査をされるなど(結局無実だったのですが)様々な問題が生じ、1982年10月19日にはイギリス政府から工場閉鎖が発表され、12月24日に生産が停止されるまでのトータルで約8500台が生産されるにとどまりました。
その後『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でタイムマシンとして使われるなど再評価がされる一方、離婚問題などで約40件の訴訟を抱えるなど波乱の人生を送っていたようです。
個人的にはいわゆる『スーパーカー・ブーム』が終わって、普通の車に興味が出始めたころに丁度発表され、『リアリティのある』夢の車の大量生産を目指したという点で感銘を受けた覚えがあります。まあ、グラマラスなライフスタイルはともかくね。
John Z. DeLorean さんのご冥福を祈ります。
参考:
John Z. DeLorean, Father of Glamour Car, Dies at 80 (The New York Times) [要登録]
2004/12/14
松原みきさん死去
2004/12/14 21:43:45
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訃報:松原みきさん44歳=シンガー・ソングライター
(MSN毎日新聞)
シンガー・ソングライターの松原みきさんが10月7日に子宮けいガンのため亡くなられていたそうです。
大阪府出身。母は元ジャズ歌手。1979年のデビュー曲「真夜中のドア」が30万枚を超えるヒットに。81年の「ニートな午後三時」が化粧品CMのテーマソングになるなど、ハスキーな歌声で人気を集めた。最近は作曲を中心に活動していた。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20041214k0000e060062000c.html
松原みきさんはこの頃多かったニューミュージックと歌謡曲の中間に位置する歌手の方の中では洗練された感じで好きでした。『真夜中のドア』なんかメロディーはっきり覚えてるし。
あと、全く関係ないところでは(失礼かもしれないけど)最近よく話題になる『ニート(NEET)』という言葉を聞くたびに『ニートな午後三時』(もちろんこの場合『NEAT』なのですが)を思い出し、そういえば今どうしてるのかなとか考えてた矢先なんで、正直ショックを受けました。
松原みきさんのご冥福をお祈りします。
2004/11/02
渡辺実さん死去
2004/11/02 21:42:59
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ディスクジョッキーの渡辺実さん死去
(朝日新聞)
1984年から86年頃まで、テレビ朝日で放送してた『MTVミュージックテレビジョン』の初代VJだった渡辺実さんが亡くなられたそうです。
渡辺 実さん(わたなべ・みのる=ディスクジョッキー)が10月30日、食道がんで死去、53歳。葬儀は近親者のみで済ませた。後日、お別れの会を開く。
『asahi.com』より引用
『MTVミュージックテレビジョン』は米MTVの素材を使って1984年10月から放送が開始され、毎週土曜と日曜の深夜に(初期は)、土曜日の前半がトップ20ビデオ・カウントダウン、日曜の前半がソニーの一社提供でVJ無しで1時間、土曜・日曜の後半が渡辺実さんのVJで1時間という構成だったんじゃないかな。。当時はNHK-BSもケーブルテレビも、もちろんスカパー!も無く、地方在住者に取ってフルにPVが見れる番組は他に『ベストヒットUSA』や『ミュージックトマト』くらいだったと思います。
そんな中、毎週食い入るように見てたのですが、享年53ということは、当時33くらいだったんですね。もう少し年が上だと思ってました。
渡辺実さんのご冥福をお祈りします。
